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人々の物語
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一輪の綿花から始まる倉敷物語
~和と洋が織りなす繊維のまち~
400年前まで一面の海だった倉敷ですが、近世になると干拓が進み、そこで栽培された綿やイ草は足袋や花莚などの織物生産を支えました。明治以降、開花した繊維産業は「和」の伝統と「洋」の技術を融合させながら発展を続け、現在、倉敷は年間出荷額日本一の「繊維のまち」となっています。
素隠居
素隠居とは、倉敷市にある阿智神社のお祭りの御神幸の雌雄の獅子に付き添う翁と媼の面をかぶった若者のことです。江戸時代、この近くに住む沢屋善兵衛が「じじ」と「ばば」の面を作らせ、店の若者にこの面をかぶらせ、主人の代理として御神幸の行列に参加したことに始まるとされています。素隠居が持っている渋うちわで頭を叩かれると、御利益があると言われています。
荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間
~北前船寄港地・船主集落~
江戸時代、北海道・東北・北陸と西日本を結んだ西廻り航路は経済の大動脈であり、この航路を利用した商船は北前船と呼ばれました。北前船は、米をはじめとした物資の輸送から発展し、船主自身が寄港地で仕入れた商品を、別の寄港地で販売する買い積み方式により利益をあげたことから「動く総合商社」と喩えられています。瀬戸内海沿岸に残る数多くの寄港地・船主集落は、北前船の壮大な世界を現代に伝えています。
「桃太郎伝説」の生まれたまち
おかやま
~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~
古来より吉備と呼ばれる岡山には、古代山城「鬼ノ城」や巨大墓に立ち並ぶ巨石などの遺跡が現存します。これらの遺跡から吉備津彦命が温羅と呼ばれた鬼を退治する伝説の舞台となりました。鬼退治伝説は、古代吉備の繁栄と屈服の歴史を背景とし、桃太郎伝説の原型になったとされ、今も訪れる人々を神秘的な物語へと誘ってくれます。
岡山県下
三大巨石墳 こうもり塚古墳
箭田大塚古墳(倉敷市)、牟佐大塚古墳(岡山市)と並ぶ、岡山県における三大巨石墳のひとつです。吉備の大首長の墓と考えられる前方後円墳で、後円部には棺を納めた横穴式石室があります。全長19.4mで巨大な石を組み合わせて造られており、石室内にこうもりがたくさんいたことからこうもり塚古墳と命名されました。
知ってる!? 悠久の時が流れる石の島
~海を越え,日本の礎を築いた せとうち備讃諸島~
瀬戸内備讃諸島の花崗岩と石切り技術は日本の建築文化を支えてきました。日本の近代化を象徴する日本銀行本店本館などの西洋建築、また古くは近世城郭の代表である大坂城の石垣など、日本のランドマークとなる建造物が、ここから切り出された石で築かれています。島々には、400年に渡って巨石を切り、加工し、海を通じて運び、石と共に生きてきた人たちの産業文化が息づいており、世紀を越えて石を切り出した丁場は壮観な景観を形成しています。
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